幸せで、そして不幸せ
僕はなんでもやりたがり屋さんです。
音楽も聴きたいし、音楽も奏でたい。
映画も観たいし、漫画も読みたい。
ゲームだってしたいし、小説だって読みたい。
歴史を学びたいし、地理も学びたい。
宇宙に思いを馳せたいし、地球のことだって考えたい。
哲学に興味もあるし、宗教にも興味がある。
英語が話せるようになりたいし、海外にだって行ってみたい。
写真だって撮りたいし、運動だってしたい。
登山もしたいし、キャンプもしたい。
動物とたわむれたいし、大自然に癒されたい。
絵も描きたいし、もちろん文章だって書きたい。
その他にも色々あるけれど、その一つひとつを細分化すると切りがないのでした(例えば楽器はギターもベースもドラムもピアノもマンドリンもバンジョーもオカリナもやってみたい)。
考えようによっては幸せです。
こんなに魅力溢れる世界に生きているんだなーという気持ちになる。
でも裏を返せば不幸です。
こんなにも魅力溢れる世界なのに、僕はきっと全部を楽しむことはできないんだ。
……………
人生は選択の連続です。
選択するということは、選択しなかったものを諦めるということにもなります。
つまるところ、やりたいことが多いと選択肢も多いということになるので、それだけ諦めることも多い。
だから、日々何かに取り組んでいても、それと同時に「何かをしていない」という焦りが生じます。
これは本当に幸せなんだろうか?
なんて、そんな不幸せな疑問が浮かんできます。
いわゆる選択のパラドックスですね。
簡単に「諦める」という言葉を使ったけれど、焦りが生まれるということはきっと心底諦めることはできていないのでしょう。
この有限の人生において、僕には何ができて、何ができないんだろうか。
可能性という意味でもその問い掛けはできますが、この場合は少し違う。
実際に全部はできないんだから。
影分身ができたらいいんだなあみつを。
おしまい