あとに広がる提灯としての生き方

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人生という暗い道を歩くとき、まるでまっすぐに懐中電灯を照らして突き進んでいくような人がいます。

自信満々で、楽しそうで、意気揚々としてて、実際のところはわからないけれど、迷いなんておよそないように思えます。

だから、羨ましくって、僕にとっての懐中電灯はなんだろうか、なんて思ったりもして、その懐中電灯を探すような人生を僕は送ってきたのかもしれません。

 

でも、多分懐中電灯なんて落ちてないんだろうし、ましてや持ってる人なんて一握りなんだろうな、と思うようになりました。

一般的な僕達が手に持ってるのは、恐らくは提灯(ちょうちん)。

 

懐中電灯は確かに羨ましいけれど、でも提灯だって悪くない。

行く先をかすかにしか照らしてはくれないが、しかしその分広範囲を照らしてくれる。

 

だから、確かに1つの「好き」を突き抜くことはできないけれど、いろいろなものに興味・関心を抱き、模索しながらではあれど一歩一歩進みゆくことができる。

多分きっとほとんどの人にとっての人生はそんなようなものなのではないか、と思いました。

 

ただ、それは決してネガティブな意味ではなく、むしろそうであるからこそ持てる人間味みたいなものもあると思います。

漫画『バガボンド』の言葉を借りるならば、そうやって迷ったり間違ったりぶつかったりして道を探すからこそ、その人の歩んできた道は後ろに広がっているのであろう、と。

振り返って確かにまっすぐ一本道だったらそれは美しいのだろうけれど、迷った僕達の歩んだ道はきっと大きくひらけている。

一本道もいいけれど、それだって悪くない。

 

ひらけているからこそ、心も広くなるんじゃないかな。

 

迷ってばかりの僕は、少なくともそう信じたい。

 

おしまい